00/9/30

 去 り 行 く 男

(メーリングリストに00/9/26に書いたものの補筆・再録です)

　一人の男が私の職場を離れていく。昨夜はその人の送別会だった。

　この男、職場での評判はすこぶる悪い。任期を終え、出向元の職場へ戻っていくのだが、誰しもが、ひそかに、いや、あからさまに、快哉を叫んでいるようだ。

　部下には、厳しい。深夜まで働く。同じことを部下にも当然のように求める。次から次へと仕事の指示を出し、遅いと叱る。出来が悪いと叱る。部下に言わせると、指示の仕方が曖昧でわかりにくい。聞き返すと、自分で考えろと叱られる。だから、こんなところだと思ってやると、間違っていると叱られる。

　軽い暴力事件すら起こした。部下が指示したことが、思い通り出来上がらなかったと怒って、つい手を出したらしい。今どき珍しい事件だった。

　この男のために、３人の部下が病気になった。一人はいまだに立ち直れないでいる。精神科に長期入院した。職場の上司が医者と相談し、この鬼のような男の顔を見ないで済む、別の職場へ移し、今リハビリ中である。

　他の部局の評判もすごく悪い。部局間というものは、ある仕事の仕分けで動いている。他部局から相互了解以上の仕事が降ってこないように、お互い牽制し合っている。その微妙な調和を、彼が平気でかき乱すものだから、あちこちぎくしゃくする。何でもなく進むべき部局間の話し合いが、彼のおかげでスムーズに行かない事例が多々あった。

　幹部も辟易している。一対一の場でも、会議の場でも、彼の話すことがわけがわからず、もたつく。会議で、彼が説明役になると、簡単な案件すら、すんなりと通らない。

　ずいぶん前から、彼を今のポストからはずしてしまえ、との勧告を私は何人からも受けていた。

　ところが、この鼻つまみの男を、私は結構好きなのである。何しろ頑張る。悪げが全くない。仕事に対して、全く無心に情熱を傾けているようだ。この仕事で手柄を立てようとか、それが出世につながるとかの野心など露ほどもない。ひたすら仕事に献身し、頑張る。にきびの跡だらけで､脂ぎった丸顔が､いつもニコニコと無邪気に笑っている。一時代もふた時代も遅れてきた熱血漢なのである。

　口べたである。だのに、たくさんしゃべる。問題について、いろんな側面から、深く考える。だから、いいたいことが山ほど頭の中を駆けめぐっている。しかし、それを整理して、簡潔適切な言葉で表現するのが下手である。だから、だらだらとたくさんしゃべる。

　毎日のように、私のところへ相談事をもって現れる。彼の顔を入り口に見ると、まず１時間は時間が取られるなと、私は覚悟する。話し始めて、３０分経っても、彼が何を相談しにやってきたのか分からないことが多い。私は我慢強い方ではないから、何を言いたいのかこちらで聞き始める。ああか、こうかと。ますますこんぐらがる。最後の最後は一人で納得して帰っていく。最初の一言で、何を言いたいのか、相談したいのか、次回は、整理してから来なさいと言っておく。ところが次も同じことだ。それが２年も続いた。私も被害者の一人である。

　今はモーレツ仕事人間は流行らない。ほどほどに仕事をし、それなりに自分の生活を楽しむ。お互い、やさしくいたわり合い、かばい合う。自分が仕事に没頭するのはよいとして、まわりまで巻き込むなんて、およそダサイ。賢くスマートにやろうよ。それが合い言葉だ。

　この男のおかげで病気になった若い人たちは、私に言わせれば、ヤワである。甘えている。ママ、ボクの仕事場にはこんなにヒドイ人がいるんだよ。何とかしてチョウダイ。そんな世代である。

　彼のおかげでぎすぎすした関係になった部局間の関係に関しても、お互いに侵さず侵されずで、仕事の調和を図るよりも、もっとバトルし合って、組織全体の発展を図るべきではなかったか、といいたい。

　彼を評価し、この男の転任を惜しんだのは、どうも私一人だったようだ。私自身は、彼とは違ったタイプなので、どうしてあの二人は気が合うのだろうと、誰もがいぶかしがっている。

　私もどうして、彼を買うのか、説明できない。彼の泥臭さ、打たれ強さ、没頭、献身が、あまりにも並はずれていたことに、惚れ込んだのかもしれない。私は若干イカモノ食いなのかもしれない。また、仕事人間の面でのこれからの世代のあり方を心配する余り、反面教師として彼を買うのかもしれない。

　彼の居なくなる１０月以降、きっと淋しい思いをすることだろう。